『機動戦士ガンダム』その1(1979年4月7日~1980年1月26日放送)

©創通・サンライズ

 前回の1969年版『どろろ』の演出に関わっていた虫プロの当時の若い方たちの中から、富野由悠季(当時:喜幸)監督作品という流れで、今回はガンダムです。とはいえ、この超有名作に今さら私ごときが感は否めませんけど、all-time favoriteですからね、やっぱりこれは外せませんし、個人的覚え書きということでちょっと書いておこうと思います。

 あまりにも有名なのでストーリーは割愛しますけど、ひとことで言ってしまうと主人公がある状況に巻き込まれてロボットに乗って戦うというもの。このあとテンプレート化されてしまいますね。

最初のセリフ

 ポイントは一点。この作品が少年の成長を描いた典型的なビルドゥングスロマンの構造を持っているということ。

 まず第一話の冒頭、主人公アムロくんのセリフに注目です。ここから脈々と続くガンダムシリーズ最初の記念すべき主人公初セリフがこれです。

「ハロ、今日も元気だね」

 これ、どういう状況かというと、お隣に住んでいる幼なじみのフラウ・ボウ(ほんといい子!)が軍からの避難命令が出てることを知らせにやってくるんですね。でも、アムロくん、コンピューターの組み立てに夢中で上の空。どうやら朝ごはんも食べてない(たぶんこれもフラウが持ってきてくれているっぽくて、ほんといい子!)。

 アムロくんのこの最初のセリフは、彼が作ったちっちゃなコミュニケーションロボットのハロに言ったものです。でもその前に、フラウから何度も呼びかけられて、「ちゃんと朝食を取らないと体のために良くないのよ」って言われています。それには返事をせずに(たぶん内心うるさいなーと思ってる)、ハロに話しかけている。なので実は、この作品におけるアムロくんの本当の最初のセリフは、無言、っていうか、無視、スルー、なんですね。

 といっても別にアムロくんに悪気があるわけではなくて、たぶんこういうやりとりが日常的に何度も繰り返されてきたんだろうなーと思えるシーンです。この時点ではまだ分かりませんけど、アムロくんちはお母さんが不在、お父さんは軍の技術顧問で忙しく、ほとんど家に帰ってこないという家庭環境。この作品の放送当時、かぎっ子という言葉がよく使われるようになりましたけど、アムロくんはまさにそういう属性を意識して設定されたのだと思います。

 両親が不在だけど、金銭的には(たぶん)何不自由なく、お隣には好意を寄せてくれている可愛い女の子がいて、でも彼女の存在のありがたさに気付いているわけでもなく、コンピューターが好きで引きこもりがちで、どちらかというと内気な男の子。冒頭のシーンだけでなんとなーくそんなことが分かります。上手いですよね。さすがです。

最後のセリフ

 で。そんな男の子が、いろんな経験をして、物語の最後に言うセリフがこれです。

「ごめんよ、まだ僕には帰れるところがあるんだ。こんなに嬉しいことはない(後略)」

 これも、これだけだとよく分からないですけど、ある女性に語り掛けているセリフです。そこは今は置いておくとして。「まだ僕には帰れるところがあるんだ」、です。これって普通の十五歳の男の子が言えるセリフではありませんよね。これは裏返すと、自分には帰れるところなんてなかったと思っていたということです。でも、そうじゃなかった。このセリフが言えるということは、自分自身の内面と、自分を取り巻いている状況を相当深く把握、認識できているということです。

 第一話の冒頭のセリフを言っていた(っていうか、無視してた)男の子と、ラストのセリフを言う男の子との間には大きな変化があります。冒頭で書いた、少年の成長を描いた典型的なビルドゥングスロマンの構造を端的に示している変化だと思います。

 ビルドゥングスロマンというのは、主人公がいろんな体験をして内面的な成長を遂げる、そういう過程を描いた小説として一般的に定義されています。もともとはドイツの小説が発祥のようですね。教養小説と呼ばれていたそうで、調べていくとなかなか面白そうですけど、果てしなく脱線していきそうなのでやめます。ただ、このような主人公の成長をテーマにした作品はとても普遍的な物語の構造として、広く受け入れられやすいものだというのは、明らかです。

 ファーストガンダムがあれだけヒットして、未だにそのシリーズが続いている大きな要因の一つは、この物語がとても普遍的な構造――「少年の成長をテーマにした物語」だからだと思うのです。もちろんそれ以外にも様々な要素がありますけど、この構造が太い幹となって通っているから、物語がまったくブレません。それがこの物語の最大のポイントです。

ツールとしてのニュータイプ

 あれ? じゃあ、ニュータイプは? って思う人もいるかもしれません。私は、ニュータイプという設定は、あくまでも普通の男の子だった主人公が戦争を生き抜いていく上で不自然にならいための仕掛けに過ぎないと思っています。別に人類の変革がこの作品のテーマではないでしょう。

 この作品の作り手たちは、とにかくリアリティについて徹底的にこだわっています。スポンサーがおもちゃメーカーなのでロボットが戦うことが前提なわけですけど、レーダーや遠距離兵器がある世界での、ロボットの近接戦闘の必然性を持たせるために、ミノフスキー粒子という設定を生み出したりしているわけです。ニュータイプという設定もそれと同じですよね。リアルな戦争を舞台にしているけれど、普通の男の子が生き延びてくれないと困るわけです。そのための便利なツールとして、ニュータイプは有効に機能しています。よく考えたなーと思います。これまたさすがです。

 そしてこのニュータイプという設定は、主人公のアムロくんの成長を促すための色んなエピソードを呼び込んでくれる結果になるという、作り手にとってはまさに超便利なものだっただろうと推察されるわけなんですけど、ここまですでに文章が長くなっちゃってますので、一旦切って、その2へ続く!

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