『MARS RED』 第九話~第十二話(終)

© 藤沢文翁/SIGNAL.MD/MARS RED製作委員会

 最後までいい感じでしたね、この作品。最初はちょっと地味、といいますか、ちょっと抑制しすぎでは? と思わなくもなかったのですけど、それがいいです。舞台は大正十二年ですからね。当時の雰囲気をどこまで再現できているのか分かりませんけど、というか今や誰にも分らないわけなんですけど、ちょっと書き割り風の独特の背景美術(ととにゃん、覚えましたよ)がいい感じにリアルさを出しています。

主役の交代

 このお話、最初は前田少佐が主人公かなと思わせて、途中から主役が交代しています。なかなか面白い構成ですよね。この構成による効果はいろいろと考えられますけど、まずひとつは、前田少佐という人物の正体っていうか、どういう背景を持っていて、どちらの側にいるのかが徐々に明らかになっていくのですけど、実は中島中将という、極端な理想に執着することで人の道を踏み外してしまう人と同じ側の人間だったということがわかる、そこでいったん表舞台から退場するという、この交代劇の意外性、うまいですよね。

 前田少佐は別に裏切り者ということでもなく、おそらくただ単に戦場で中島中将に命を助けられたという、その一点のみで中将サイドにいるのだと思うのですけど、中将の娘、岬との関係も含めて、簡単に割り切れない人物像がいいですよね。主人公だと思っていた人間が実はそうではなかった。まず、その展開の面白さ、そしてその人物像の面白さ、奥深さ、がまずひとつ。

 もうひとつは、前田少佐と入れ替わりに主人公の立ち位置に立つことになる来栖くんのこと。彼はSランクの吸血鬼ではありますけど、まだ若いですし、軍人としても前田少佐には及ばないということが前半で描かれます。その彼が後半のお話を引っ張っていくわけですね、前田少佐に代わって。最後、この二人は対決して、来栖くんが勝つわけなんですけど、そこに至るまでに、すでにお話の構成として、前田少佐のあとを引き継ぐ役割を担っているということ自体が、この二人の関係性をちゃんと物語っているわけです。これもまたうまいです。ものすごく地味なことなのですけど。

 この作品の脚本は、このような、目立たないけどしっかりとした作業に裏打ちされた素晴らしいものだと思います。ちょっと大げさですけど、近年稀に見る、しっかりとしたテレビアニメの脚本だと思います。珍しいです。でも、目立たないので、一般的なネットなどの感想では評価されないでしょうけど。

生ける屍の頭の中

 この作品の吸血鬼の設定は、ちょっと他とは違っています。普通の人が吸血鬼に血を吸われて吸血鬼になる確率は非常に低くて、普通は人間らしさを失くして血を求めてさまよう存在、まるでゾンビのような状態になる、というものです。

 作中で、大けがを負った前田少佐は上級の吸血鬼レフロットによって吸血鬼となるのですけど、自我が保てておらず、半ゾンビ状態な感じになっちゃってます。で、最終話では前田少佐がどういう精神状態なのか、彼のインナースペースが描かれるんですね。これまでゾンビものは数々ありますけど、ゾンビとなった人の思考を描いた作品はこれまで見たことがありません。あってもよさそうなんですけど。思いつきそうで思いつかない、盲点ですね。

古典の強度

 作品冒頭から登場するサロメのセリフは、原作者である藤沢文翁さんの訳なんですね。言葉が美しいです。そして、やっぱり古典は強い。こういうモチーフがきちんと組み込まれるだけの下地を備えているということが前提ですけど、最終話のレフロットくんのセリフ、締まりますね。沢城さんの声も素晴らしいです。

 前田少佐は悲しい結末を迎えますけど、これは仕方がないですね。でも、不老不死の吸血鬼という特性によって現代まで、つまり私たちが暮らす今に近い時代まで作品世界がつながっているラスト、いいですね。こういうリアル感を出す手法もあるんですね。

 最初はまったく期待せずに見始めましたけど、すごく楽しかったです。朗読劇もちょっと興味が出てきました。作品世界が確立されているので、また別のお話も見てみたいですね。

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