『鬼滅の刃』 第五話~第十三話

©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

 本当にたまにですけど、アニメを見ていると、思わず心が震えるような作品に出会うことがあります。とても月並みな表現ですけど、月並みな表現になってしまうくらい、実感としてとても分かりやすいその言葉通りの、素晴らしい作品。これもそんな作品のうちのひとつだと、第十三話まで見終わって、確信しています。

素晴らしいです

 素晴らしいです。最終選考が終わって、主人公が鬼殺隊の一員となった第六話以降もクオリティは一切落ちることなく進んでいきます。

超絶アクション

 相変わらずアクションがすごい。そこには、ただ作画的なすごさ(もちろんそれが前提なのですけど)だけでなく、主人公炭治郎くんの必死さ、まっすぐさがアクションを通じて伝わってくるような造りになっているから、アクションシーンを見ているだけで、なんかもう泣きそうになっちゃうんです。

第十二話ラストのセリフ

 特に、第十二話のラスト、前の戦いで負った傷がいえていないため、強敵に一方的にやられちゃってる炭治郎くん。これまでどれだけ痛かったか、どれだけ我慢していたか、心中を吐露します。長男だから我慢できていたんだと。でも、そうやって弱音を吐きつつも、師匠の教えを思い出し、己を鼓舞するのです。そのラストカットの炭治郎くんのセリフがこちら。

「俺は今までよくやってきた。俺はできる奴だ。そして今日も。これからも。折れていても。俺がくじけることは、絶対に、ない!」

 もう、ぼろぼろ泣きましたよ。なんですか、このセリフ。炭治郎くん、すごいよ。すごい子だよ。だいたい、こんなセリフを登場人物に言わせちゃうなんて、書く方も相当の覚悟が必要だと思うのです。そして、気合の入ったアクションシーンがあるからこそ、こんなストレートなセリフが生きるのです。だって、戦いのシーンがしょぼかったら、説得力ないですもん。

善逸くん

 それと、もうひとつ。この第十二話ですごいと思ったことが。鬼殺隊の仲間である善逸くん。普段の彼はむっちゃネガティブで頼りないのですけど、意識を失うと本来の実力(実はむっちゃ強い)を発揮するという設定。でも、その反覚醒状態の、すごい技を繰り出した時のことは、目が覚めると憶えていない。

 だから、本人は自分のことを強いとはこれっぽっちも思っていないんです。むちゃくちゃ強い自分のことを一切知らない。鬼を一閃のもとに切り捨てたことを憶えていない。でも、鬼殺隊に入って(借金があるという事情はあれど)、人を助けたいと思っている。自分では弱いと思っているのに、鬼から子供を守ろうとするし、炭治郎くんの妹を身を挺して守ろうとする。

チートや俺TUEEEへのアンチテーゼ

 ラノベ界隈では、ここのところずっとチートや俺TUEEEが人気です。そこからは、分かりやすい強さというものが、たくさんの人たちから求められているという事実が見て取れます。書くほうも、読むほうも、単純で分かりやすく無条件で手に入れた強さを持つ主人公に自分を重ねたいと思っているということなのでしょう。

 でも、善逸くんのこの設定は、そんな動きへの痛烈なアンチテーゼになりうると、私は思いました。むっちゃ強いのに、それを本人は知らない。憶えてない。チートや俺TUEEEを求めている人たちにとってそれは全く魅力を持たない設定でしょう。強いことを自覚してこそ意味があるのですから。

本当の強さ

 もちろん、普通に考えれば、善逸くんは実はすごく強いんだろうなーということは、見ていて想像はできました。でも、このお話はさらにその先まで見る者を連れて行ってくれます。自らの強さを彼は覚えておらず、その強さを自覚しないまま、炭治郎くんの妹をぼろぼろになりながら守ろうとしている彼の姿を見て、私は大きく心を動かされたのです。

 そして思いました。本当の強さってなんでしょう。これはたぶん、これからこの物語の大きなテーマの一つになっていくんじゃないかと、私は踏んでいます(ぜんぜん違うかもしれませんけど)。

 ともかく、本当に素晴らしい作品です。原作未読なので、果たしてどこまでが原作のすごさなのか、ufotableのすごさなのか分かりませんけど。それにしても、私は未だにこれがufotable制作だということが信じられません(ってしつこい)。

 アニメは折り返しまで来ました。たぶんここからも想像を絶する展開が待っているのでしょう。わくわくしながら、これからも見続けていきたいと思います。

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