「どうも、少しずつ悪い時代になってきているようだ」
作中のヤンのセリフです。原作とまったく同じセリフです。このセリフがとても意味深く私には感じられました。
9.11後の銀英伝
原作や石黒監督版と今回のヤンの描き方の違いについて、前回に引き続きもう少し。原作の第一巻が刊行されたのが一九八二年、石黒監督版OVAのリリースが一九八八年から一九九七年です。それから約二十年。私たち世間一般の戦争への認識は、当時と現在とでは明らかに変化していると思います。
原作及び石黒監督版当時の大きな戦争ですぐに思いつくのは、フォークランド紛争(一九八二年)、湾岸戦争(一九九一年)でしょうか。いずれも、日本は直接的には関与していませんし、私たち日本人にとって戦争というものは、はるか遠い土地で行われている対岸の火事でしかありませんでした。
今でも、それは変わっていないかもしれません。今も、シリアをはじめとして、様々な土地で戦争、紛争は継続していますが、やっぱりあくまでも日本から遠く離れた国の出来事。でも、変わったこともあります。
二〇〇一年に9.11が起こり、その後、世界中でテロの脅威が増しています。確かに、国家間の大きな戦争は私たちにとって遠い世界の話ですが、一般市民が巻き込まれる無差別テロの恐怖は、原作及び石黒監督版当時からは想像もできないくらい、身近になっています。
先週、先々週と海外出張でインドネシアとタイにいました。インドネシアでは首都ジャカルタで二〇一六年と二〇一七年に、タイの首都バンコクでは二〇一五年に爆弾テロが起こっています。出張で海外に行くときは、やはり頭のどこかに、いつ自分がテロに巻き込まれてもおかしくはない、という意識が常にあります。
そんな今の時代に、石黒監督版のヤン・ウェンリーをそのまま持ってこられたら、私はたぶん違和感を感じます。なぜなら、作り手が9.11を経験していないからです。私たちの住む世界の延長線上にある、民主主義をかがげる自由惑星同盟側の主人公であるヤンに対しては、私はどうしても今の時勢に沿った解釈でのキャラクター構築をしてほしいと思ってしまいます。たかだかアニメのいちキャラクターに過ぎないとしても。
戦争の勝ち負けに道義は関係ないんだよ
今回のセリフでもうひとつ。(長くなるので詳細は省きますが)空港でジェシカがヤンに、味方に大量の死者を出してしまった軍の責任者は道義的に恥じるべきだ、と言います。それに対してヤンはこう言います。
「戦争の勝ち負けに道義は関係ないんだよ」
仮に、こちらが勝って敵に百万人の死者を出したとしたら、それは果たしてほめらるべきものなのだろうか、と。
実はこのセリフ、原作では、ヤンは口には出していないのです。こんなことを言ってもジェシカには理解してもらえないだろうし、理解を求めるべきことでもない、と、自分の胸の内だけに留めておくのです。ヤンらしいと言えばヤンらしい、消極的な態度です。
でも、今作では、ヤンはちゃんと口に出して、ジェシカの考えを否定します。それはちょっと違うんじゃないかな、と。
もしかしたら、私の深読みなのかもしれません。でも、私には、これが、9.11をまだ経験していなかった作り手たちが作ったヤンと、大規模な国家間の戦争ではないにせよ、テロという理不尽な暴力によって一般市民が命を奪われるリスクが増大している現代の作り手たちが作ったヤンとの違いを象徴しているのではないか、と思ったのです。まあ……深読みのし過ぎでしょうけど、ね。
そんな堅い話は置いておいて、今回の肝はやっぱりユリアンの嫁っぷりでしょう。ショタ属性がなくてもこれは……。
さて、次回はとうとうイゼルローン攻略ですね。楽しみでーす。