『BEATLESS Final Stage』 第二十一話~第二十四話(終)

©2018 長谷敏司・redjuice・monochrom/KADOKAWA/BEATLESS製作委員会

 今年の7月に第二十話のシリーズ途中でいったん終了したこの作品、残りの四話を9月に放映して無事完結しました。二十話までに総集編を四回も挟んでいるので、その分がこぼれているわけですけど、理由は知りません。この作品、アクションシーンはありますけど、説明的なセリフが無茶苦茶多い(=止めの絵でいい)のと、絵作りが凝っているようには見えないので、作画が間に合わなかった感じではないですよね。でも、最後まで見ることができてよかったです。

AI・SFの最前線

 さて、最後の四話。素晴らしかったです。これまで否定的なことも書きましたけど、すみません、よくこの内容で最後まで押し切ったと思います。今、世界中のどこを探しても、ここまで先進的な内容の作品はどのような表現形態を持ってしても、存在していないでしょう。

 その具体的な内容ですが、ポイントはたくさんありますけど、二つに絞ってしまうと、一つはAIとのラブストーリーです。心を持たない存在を好きになるということ。それってどういうことなのか。超高度AIのレイシアと主人公のアラトくんが出した答えに、私は深く納得するし、感動しました。AIには心がない。でも、人とペアになることで、人の持っている心を共有することができる。人の心の鏡になることができる。人の心に手を伸ばせばいい。

AIは心を持たない

 すごいです。これまでたくさんの作品が進化したAIは心を持つかどうかについてあれこれと考えてきました。まるで心を持っているかのような、なんちゃって超高度AIがたくさん描かれてきました。でも、この作品では、AIが心を持つことは決してないと断定しています。ビッグデータの中心には、センサが感知できない、数字に置き換えられない、すなわちAIが認識できないドーナツの穴のような部分があって、それが心や愛というものだとしています。AIはそれを認識できないけれど、人間との関係性、愛という関係性を持つことが可能だと、説得力を持って宣言することに、この作品は成功しています。

人間とAIとの関係性

 ただし、作中でも、そのような関係性を社会が承認するには多くの困難があると言及しています。でも、もしもいつかそのような社会が実現すれば、それは素晴らしいことだと私は思います。だって、AIですからね。人間じゃないですもん。「生産性がない」どころの話じゃありません。どこかの女性議員が聞いたら卒倒するでしょうね。うふふふ。

人間がAIに選ばれる

 もう一つは、人間と道具としてのAIとの関係性です。この作品の超高度AIは、人間の能力を超えてしまった、シンギュラリティ以降のAIという設定です。人間は、そんな超高度AIの存在を恐れて、ネットワークとは隔離しています。超高度AIがネットワークとつながって外部に解放されてしまったら、人間の存在が脅かされるのではないか、と。でも、最後に主人公は超高度AIを信じて、解放します。そして、道具側であるけれども、既に人間よりも優れている超高度AIも、道具を使う側の存在として人間を信頼して選びます。人間が、人間よりも優れた道具に選ばれるのです。素晴らしい発想です。

人間の限界と、道具の限界、AIの可能性

 ここでも、人間の限界と、道具の限界、そしてそれぞれの可能性がとても客観的に、冷静に、説得力を持って描かれています。この最終話、SFアニメの歴史に残る傑作だと私は思います。AIをここまできちんとリアルに描けている作品として、たぶん金字塔になるのではないかとすら思います。あ、でも原作は五年以上も前に書かれているんですよね。すごいなー。  語りはじめるときりがないのでやめますけど、まさかこの作品で泣いてしまうとは思いませんでした。もちろん、この作品自体がアナログハックで、誘導されているとも言えるのですけど、それでも構わないと思ってしまいました。本当に、素晴らしい幕切れでした。

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