『荒ぶる季節の乙女どもよ。』 第三話~第十話

© 岡田麿里・絵本奈央・講談社/荒乙製作委員会

 いい。いいです。さすがです、岡田磨里さん。正直、前半はあまりにも真っ当すぎて、ちょっと不満でした。でも、後半、加速度的にどんどん面白くなってます。

群像劇

 五人の女子高生たちの群像劇なので、それぞれの恋愛事情が進んでいって、どれもまあ見事なくらいこじらせていて、やっかいで、青春(性春?)していて、いい感じです。

 私的には、百々子ちゃんの道ならぬ恋が成就してほしいところですけど多分一番無理筋ですよね。冒頭から私の百合センサーがビシバシ反応していて、第十話でようやく……というところまできたのですけど。そのシーンが切なくて……ううう。

第十話 チェインギャング

 その第十話、それぞれの関係性が大きな変化を迎えるとても重要なターニングポイントとなる回で、脚本も演出も気合入ってました。この作品、これまで劇中でブルーハーツ(とザ・タイマーズ)の曲を使ってるんですけど、この第十話でも重要なシーンで、な、なんと『チェインギャング』を使ってるんです。

 普通の感覚だと、おいそれと使えるような曲じゃないです。そのまま劇中歌としてぽこん、と持ってこれるような曲じゃない。そんなに軽い曲じゃない。でも、見事な使い方をしています。

 いろいろあって菅原氏(美少女)に電話で自分の気持ちを打ち明ける百々子ちゃん、でもこっちもいろいろあってそれに答えてあげられない菅原氏(美少女)。自分を見失ってしまった菅原氏(美少女)が飲み屋街の路上で立ちすくみ、うずくまってしまうシーン、そこにスナックのカラオケでサラリーマンが歌ってる『チェインギャング』がかぶさる。

 『チェインギャング』を聴いたことがない人は、今すぐyoutubeを開くべき。そして、歌詞を読むべき。なぜこのシーンでこの曲が使われたのかが分かるはず。そう、このシーンで路上にうずくまっている女の子、菅原氏とこの歌詞の内容が見事にシンクロしてるのです。ほんと見事です。このシーンだけ藤田敏八監督や荒井晴彦さん脚本の映画、まるで往年のにっかつ映画を見ているようでした……ってほめすぎ? いやいや、そんなことないよ、うん。

 もうこのシーンだけで、私、今年のベスト5入りを確定させました。素晴らしい。

第十話 黒沢ともよさん

 それともうひとつポイントが。主要登場人物の一人、ひと葉さんの声を黒沢ともよさんがあてているのですけど、普段のしゃべり方がまるで新山里美さんっていう声優さんの声そっくりなんですね。新山さんと黒沢さんは『ひそねとまそたん』という作品で共演していて、これも脚本は岡田磨里さんなんですけど、たぶん、というか明らかに黒沢さんは新山さんを真似ています。ただ、新山さんっぽいしゃべり方はあくまでもひと葉というキャラクターの一面、ひと葉の一番外側の部分であって、実は素の部分では違うというのを、第十話で見事に表現されていました。

 黒沢さんは今季『彼方のアストラ』にも出ていて、ここでもやっぱりキャラクターの素の部分が垣間見えるときの演技が素晴らしいんです。この第十話では、ひと葉さんが初めて感情を爆発させるシーンがあって、黒沢さんの力が最大限に発揮されています。人は誰しも普段、社会生活において、なにがしかの演技をしています。その下に、普段は人に見せない素の自分がいる。その外面と内面とのギャップを表現させたら、黒沢さんはむちゃくちゃ上手いです。

 そのシーン、ひと葉さんがミロ先生に感情をぶつけるシーン、本当に上手いです。嘘くさくない。すべての声優さんがそうではありませんけど、やっぱりどうしても声優さんの演技ってどこか嘘くさく感じてしまう時があります。でも、黒沢さんには一切それがない。自然と胸に迫ってくる。

 このひと葉さんのシーンでぼろぼろ泣いて、そのあとの『チェインギャング』でぼろぼろ泣いて、涙涙の第十話でした。残りあと2話、かな? ラストスパート、期待しています。

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